本文探討日本肥前赤繪(釉上彩)陶瓷的發展與美學,作者藉由比較古伊萬里的異國情調、柿右衛門的細膩乳白胎,以及色鍋島的大名官窯氣度,強調陶瓷之美的最高境界在於釉彩、胎土與紋樣間的和諧共融。
(作者 永竹威)在異鄉遇見故鄉的陶瓷時,總會湧起難以言喻的鄉愁。那是昭和二十七年的夏天,為了研修博物館學,我在上野森林裡的東京藝大與東京國立博物館停留了約三個月。當時,洋溢中國風韻的高雅陶瓷、展現朝鮮王朝華麗文化的陶瓷,以及吸收大陸文化後日漸成熟的日本陶瓷,它們所展現的豐富之美深深打動了我的心。
不論國內外、時代新舊,也不論是陶還是磁,齊聚一堂展出的陶瓷之美特別耐人尋味。陶瓷展室的隔壁,聚集了日本佛像雕刻的精粹。雕刻世界創造出的造形美、將宗教意念在空間中具體呈現的佛像雕刻之美,都讓人深刻感受到日本民族無休止鑽研的足跡;與此同時,當開始探尋陶瓷之美時,一種超越所有繁雜理論、完全融入日常生活的工藝之美,便真切地來到身邊。
如果將陶瓷美學的世界比喻成故事,陶器時代可說是序幕,陶器時代是邁入新世界的階段,青花磁器(染付)時代迎來了飛躍與轉捩點,而赤繪(彩繪瓷器)的時代,則稱得上是波瀾壯闊的高潮。
翻開日本文化史便能明白,大部分的美術工藝文化都是由中國傳到朝鮮,再由朝鮮引進日本,並將日本人對手工藝的熱忱與當地的技藝巧妙融合。
這樣的交流在雕刻與陶瓷世界中,孕育並營造出日本獨特的形式之美。正如先前所提,青花的技法是沿著「中國>朝鮮>日本」傳播,但赤繪的技法卻是從中國直接傳到日本,並由柿右衛門在日本發揚光大。正因如此,赤繪的風格帶有更深厚的中國色彩與韻味。只要看過東京國立博物館展示的陶瓷,任何人都能明白這點。當時就如芭蕉俳句所寫的「良宵月色好,繞池步難移」那般心情,我在初秋的氣息中,在展示赤繪的玻璃櫃前來回徘徊、捨不得離開,這是一段久遠的回憶。
明代的「赤繪唐草紋碗」、「赤繪牡丹紋鉢」,以及帶有大明萬曆款識的「青花赤繪龍紋壺」,它們的造形之美將中國赤繪的韻味展現得淋漓盡致。此外,清代的「赤繪花鳥紋碗」也是吳須赤繪的代表作。
不可思議的是,接觸過柿右衛門的作品後,似乎能證明赤繪(更貼切的說法是「上繪」,即釉上彩)這項技術並未透過朝鮮,而是直接在日本融會貫通並成熟起來。
在肥前地區,南川原的窯場由柿右衛門一族完成深具日本風格的赤繪(上繪),同時有田皿山的赤繪也開花結果,京都赤繪與古九谷也隨之盛行;到了江戶末期,京都*仁阿彌道八的「色繪櫻楓圖鉢」廣受矚目,永樂的「色繪角皿」也吸引了京城文人雅士的興趣。
肥前南川原這個小工坊的耕耘,以有田皿山為中心,誕生了柿右衛門與古伊萬里的樣式美,也孕育了鍋島藩窯的「色鍋島」,進而在日本各地的窯場掀起了一陣彩繪瓷器的巨大浪潮。
欣賞肥前窯場的赤繪時會發現,它主要受中國萬曆至雍正年間瓷器的影響,同時又自成一格;古九谷的赤繪則深受京都畫家久隅守景的影響。要說最具純粹日本風貌的,莫過於色鍋島的赤繪,在恰到好處的雅緻觸感中,散發著大名貴族的沉穩氣度。
俗稱的「赤繪」,指的是相對於「下繪」(釉下彩)的「上繪」(釉上彩)。由於早期繪料主要使用引人注目的紅色,人們便將釉上彩通稱為赤繪。雖然這聽起來像是因柿右衛門的赤繪而誕生的詞,但其實早在中國明代就已有「萬曆赤繪」的說法。
不用說,釉上彩除了紅色之外,還有藍、黃、綠、黑、茶等各種顏色。
細看肥前、九谷與京都的赤繪,胎土的色調與質地(細緻度)各有千秋,釉面色調也各不相同,連繪料色彩與紋樣安排都生動表現出各自的地方特色。
除了地域特色,也有必要思考形塑各產地風格的時代背景,唯有如此,才能真正體會各種赤繪原本的美感。同樣是肥前的赤繪,古伊萬里與柿右衛門系、色鍋島之間就有很明確的區別。古伊萬里的時代背景承接了桃山末期至德川初期的工藝潮流,加上鄰近出貨港口伊萬里津與長崎出島這座洋人港口,在這樣的環境下巧妙孕育出古伊萬里的獨特美感。古伊萬里陶工的心中帶著異國的夢想,強烈或含蓄地交織著濃濃的異國情調。
看過極為知名的古伊萬里染錦「五艘船」大鉢,就能完全理解當時陶工對異國的憧憬與嚮往。
古伊萬里也有帶有庶民氣息的手作陶俑,這些作品同樣充分反映了當時的社會氛圍與生活環境。那是江戶時代的市井風俗在不知不覺間映入肥前陶工眼簾所創作出的成果,有些讓人聯想到四國阿波的土偶人形,有些則是以江戶下町的歌舞伎演員為原型製作。
從中能看出陶工們熟練運用釉上繪料後,隨興揮灑、運筆自如的自信與得意。
此外,古伊萬里的壺或花瓶上有時會畫上世俗風情畫,方盤上也能見到元祿美人的衣袖或衣褶紋樣。「染錦」這個名稱,大概就是源於對底層青花與上方華麗赤繪相互輝映的讚美,在不知不覺中流傳開來的稱呼。
古九谷流淌著加賀藩政統治下的社會背景,在純粹的日本原創性上顯得稍微薄弱一些。拿古伊萬里與柿右衛門相比,柿右衛門的筆觸帶著抒情的細膩,讓人感受到優雅高尚的氣息。至於藩窯製作的色鍋島,或許是受到「貴族背景」的影響,無論是胎土、描繪的紋樣還是挑選的顏料,都蘊含著貴族官窯獨有的精緻洗鍊之美。
釉上彩所使用的顏料,不論是紅還是黃,多多少少都帶有原色的鮮豔感。正因如此,若紋樣內容太過普通,整件作品就會顯得不夠和諧動人。然而,單純講究紋樣設計,也無法自然營造出整體美感。柿右衛門一族在初期嘗試釉上彩時,雖然取得了一定成果,但如何讓上層彩繪、胎土以及釉色三者完美調和,想必歷經了無數摸索與辛勞。
一般稱為「濁手」(乳白胎)的乳白色胎土,正是為了讓純粹的釉上彩(無底層青花)與胎土維持調和之美,在克服種種困難後留下的結晶。擺在我眼前玻璃櫃裡的柿右衛門「色繪散菊紋帶蓋盒」,就營造出極為和諧優美的美感世界。在乳白色的胎土上帶有波浪紋浮雕,並點綴著菊花彩繪與四處飛舞的千鳥。
在眾多赤繪器物中,能像這樣蘊含平淡雅緻造形美的作品可說少之又少。每當我注視著這件帶蓋盒時,總對柿右衛門窯能將平淡調和之美完美呈現在彩繪世界中的工藝精神,致上由衷的敬意。
把視線移到旁邊的展示櫃,那裡陳列著「色繪松竹梅瓶子」。做工精巧雅緻,飽滿的葫蘆形造型極為出色,是色鍋島的代表佳作。瓶身正面是「松竹梅」彩繪,背面則是由「柑橘、菊花、鶴、龜」等吉祥圖案組成的紋樣。這件作品的彩繪固然美麗,但更打動我的是釉色與赤繪之間渾然一體的完美調和。
「陶瓷之美,以調和為最高境界。」我認為這句話一點也不誇張,喜愛陶瓷之美的人,想必也都能心領神會。
(第138頁)
肥前の赤絵
異郷の地にあつて故郷の陶磁にめぐり会つた時、この上なく郷愁を覚えるものであります。私はさる昭和二十七年夏、博物館学習のため、上野の森にある東京芸大と東京国立博物館に三カ月ほど滞在しました折り、中国の香りの高い陶磁、朝鮮の王朝文化華やかな折の陶磁、大陸文化の導入によつて成熟した日本の陶磁などの豊かな美に心を打たれたものです。
国の内外を問わず、時代の新旧を問わず、陶といわず、磁といわず、一堂に展示された陶芸の美は格別に味わい深いものでありました。陶磁室の隣の室は日本の仏像彫刻の秀が集められておりました。彫刻の世界が産み出す造形の美、宗教の観念を空間の世界に表現した仏像彫刻の美、これ等には日本民族の限りなき精進の足跡がうなづける、と同時に、陶磁の美を探りはじめると一切の理を超越し、一切の生活に融合した工芸の美が身辺に迫ってきます。 陶磁の美の世界を物語調に構成しますと、土器の時代はプロローグともいえましょう。陶の時代は新世界への段階であり、磁器染付けの時代は飛躍し、転機を迎ええ、そして赤絵の時代はクライマックスの渦潮の流れれともいえましょう。
日本の文化史をひもときますと、誰にも解るように、美術工芸の文化は、その殆どが、中国から朝鮮に渡りり、朝鮮から日本へと導入され、日本人の手仕事への気魂が、彼の地の手仕事とたくみに交流したものであります。
(第139頁)
この交流が彫刻の世界や陶磁の世界に独自の日本的な造形の美を養い、醸し出しているのであります。前にも触れましたように染付の技法は中国―朝鮮―日本へと伝えられたのでありますが、赤絵の技法は中国から直接、日本へと伝えられ、日本的には野々村仁清が完成したのであります。それだけに赤絵の潮流には中国的な感触が一層深いのであります。この事は、東京国立博物館の陶磁のケースを見ますと、誰にも納得することでありましょう。芭蕉の句の「名月や池をめぐりて夜もすがら」の心境をそのままに、私は初秋の気配の中で、赤絵の展示してあるケースをゆきつもどりつ回りながら、立ち去り難い思いがしました。遠く過ぎ去った思い出です。
明時代の「赤絵唐草文碗」の美しさ、「赤絵牡丹文皿」の美しさ、大明万暦の染文字のある「青花赤絵の竜文壺」の造形美は中国赤絵の感触を心憎いまで漂わせております。 さらに清時代「赤絵花鳥文碗」は呉須赤絵の代表的なものであります。
ここで不思議なことは野々村仁清の作品に接することにより、赤絵(正直なところは上絵という文字が適切である)の技術が、朝鮮を経由することなく日本でまとめ上げられたという事が証明されるようです。
肥前では、南川原の窯里で野々村仁清一族が日本的な赤絵(上絵)を完成したのと歩調を合わせて有田皿山の赤絵が実を結び、京赤絵や、古九谷が盛んになり、江戸末期に京の仁阿弥道八の「色絵桜楓図の皿」が注目をあび、永楽の「色絵角皿」が京洛の人々の興味をさそうのであります。
(第140頁)
肥前南川原での小さな手仕事の営みが有田皿山を中心に柿右衛門・古伊万里の様式美を産み、鍋島藩窯の色鍋島を産み、引いては日本各地の窯場に赤絵の潮流が大きく渦を巻いたのであります。
肥前の窯場の赤絵を見ておりますと、やはり中国の万暦から、柿右衛門の磁器を手頭とした、肥前独自の世界を持つており、古九谷の赤絵は多分に京絵師久隅守景の影響をうけております。純日本的なものといえば色鍋島の赤絵がぴつたりとした感触の中で大名芸らしい美をもつております。
俗に赤絵という言葉は下絵に対する上絵のことであります。上絵の絵具は主に赤が(初期の頃)用いられ、人目をひいた事などから上絵の俗称を赤絵と総じて呼んだのでありましょう。柿右衛門の赤絵から産れた言葉のように考えられそうですが、そうではなく古く明時代に万暦赤絵の言葉があります。
言うまでもなく、上絵の彩画には赤色の他に、青あり、黄あり、緑あり、黒あり、茶なども用いられております。
肥前の赤絵と九谷の赤絵と京の赤絵を見ておりますと、素地の色調や土味(きめの細かさ)はそれぞれ異なつた味をもつております。さらに、釉調(うわぐすりの色調)もそれぞれ異なり、上絵の色調、文様の配り方にも各
(第141頁)
古伊万里には、俗な手造り人形があります。これなども、当時の世相と環境をよく表しております。江戸時代の風俗が何時の間にか肥前の陶工の目に留まつて出来たものであり、どこか四国の阿波の土偶人形を思わせるものもあり、中には江戸の下町役者を型どつたと思われるものもあります。
漸く使いなれた上絵の顔料を、自由な筆にゆだねて気軽に運んだでありましょう陶工達の得意さが伺われるのであります。 なかには、この古伊万里の壺や花瓶に風俗絵図をあしらつたり、元禄美人の袖や、笠文様の部分を角皿などに描いた器なども見受けられます。「染錦」というよび名も、下絵の染付の呉須の色と、多彩な上絵の絢爛(けんらん)たる赤絵の色への饒美から、誰いうとなく産れた言葉のようです。
(第142頁)
古九谷には、矢張り加賀藩政下の社会背景が流れ、日本的なオリジナリティーにはやや乏しいものが有ります。
古伊万里と、柿右衛門とを比較しますと、柿右衛門の筆法には、抒情的な繊細さがあり、香り高いものを覚えるのであります。
さらに藩窯の色鍋島になりますと、「大名的背景」が影響してか、素地は勿論のこと、描かれた上絵の文様も、撰ばれた顔料も、鍋島らしい洗練された精巧な赤絵の美を含んでおります。
上絵に用いられる顔料の色調は、赤にしても、黄にしても、原色の持つ派手さを多少とも持っております。それだけに上絵の絵文様も、あたりまえな内容では合点がゆかぬことになります。
ただ絵文様だけを考えたからといって、上絵の調和が産れるものではありません。
柿右衛門の一族(初期)も上絵付には、一応の成果を収めはしたものの、上絵と素地、上絵と釉調をどのように調和させてゆくかの問題があつて、さまざまな苦労を重ねたことでありましょう。
普通「にごし手」とよんでいる乳白色の素地も、結局は純然たる上絵(下絵染付のない)素地との調和美を保つ苦労のあとを物語るものであります。私の眼の前のケースにある柿右衛門の「色絵、菊散し文蓋物」は、実に美しい調和の世界をこしらえております。乳白手の素地には、波文の浮彫が見られ、上絵彩画の菊のちらしがあり、千鳥があちこちに飛んでいるといったものであります。
これほど赤絵の器物の中で、淡々とした造形美を蓄えているのは、数少ないようです。私はこの蓋物に見惚れていますと、淡々たる調和の美を上絵の世界に見事に造り出した柿右衛門窯の工芸魂に、心からなる畏敬の念を惜しまないものであります。
(第143頁)
さらに隣りのケースに眼を移しますと、ここには「色絵松竹梅の瓶子」がありました。細工も上品ですし、形もゆたかなひさご形で、素晴らしい色鍋島の瓶子であります。
表は「松竹梅」の上絵、裏は「たちばな、菊、鶴、亀」といったおめでたづくしの絵文様(彩画)であります。この器物の上絵も美しいのですが、私は釉調と赤絵の調和に心をひかれたものであります。
「陶磁の美は調和をもって極致とする」この言葉は、私の過言ではないと思います。陶磁の美を慕う人びとには納得のゆく言葉だといえましょう。
節錄自『肥前やきもの讀本』第138~142頁 永竹威著 昭和35年 金華堂出版發行
另外,關於在研究本文內容時,所產生的疑問與深入探討,以及自身的想法見解都會附註在最後這裡。
讀完這一段文章,首先要了解到的是「赤繪」與「染付」這兩個技法的不同。最關鍵的差異,在於顏料繪製在釉藥的「上方」或「下方」以及燒成溫度與色彩的不同。
・赤繪則被稱為釉上彩或是上繪付,是在已經高溫本燒成型過的「光滑釉藥表面」上,以彩料描繪圖樣。繪製後放入專門的窯內,以約 700~800°C 的低溫二次燒烤使顏料固著,手摸表面會有微凸的立體感與華麗的光澤。。
・染付又稱為釉下彩或是下繪付,在尚未施釉的素坯上,直接以含鈷原料(吳須)描摹圖樣,繪製後,再用一層透明釉包覆,以約 1,300°C 的高溫本燒一次完成,成品以不同濃淡深淺的青藍色為主,表面平滑且永不磨損褪色。
文章內提到的仁阿彌道八的「色繪櫻楓圖鉢」

日本靜岡 MOA 美術館館藏
仁阿彌道八(1783~1855)於天明三年出生於京都粟田口,是陶工高橋道八的次子。他繼承了「二代道八」的名號,後因皈依佛門而自稱「仁阿弥」。他曾跟隨奧田穎川學習陶藝技法,並以野野村仁清、尾形乾山等人為典範,在琳派風格的設計中開拓出新境界,是江戶幕末時期著名的工藝大師。
這件鉢是他最擅長的「仿乾山(乾山寫し)」風格之作,這種融合櫻花與楓葉的設計被稱為「雲錦手(うんきんで)」。
器口做成輪花造型增添動態感,邊緣微向外翻,形成口徑寬廣的深鉢;胎土質地粗獷質樸(ざんぐり),略帶鐵質。
在燒製成鼠灰色的釉面上,器內外皆繪有櫻花與紅楓。樹幹與枝椏採用「銹繪(鐵繪)」風格描繪並施以金彩;櫻花以點描手法表現,楓葉則採平面構圖,運用白、紅、綠青(石綠)等色料描繪,展現出兩者對照的絕妙之處。楓葉的綠青色應是象徵初夏的綠葉,其綠青釉色的運用極為精湛,令人深切感受到名工二代道八的非凡造詣。
在鉢內底部(見込)與外側,各處隱約浮現出深淺不一的紅斑窯變,整體散發出陶器特有的溫潤質感。鉢內底留有七處支釘痕(目跡),而在釘痕上特別點綴赤繪顏料,亦可見道八體貼細膩的巧思。器底圈足(高台)內側左方則鈐印有「道八」之款識。
重點詞彙與鑑賞背景
- 雲錦手(うんきんで): 將吉野山的「櫻花」(如白雲)與龍田川的「紅楓」(如彩錦)繪於同一器物上的經典傳統紋樣,象徵春秋交融之美。
- 乾山寫し(けんざんうつし): 指仿效江戶前期琳派陶藝巨匠「尾形乾山」風格的作品。道八對乾山的筆觸與釉色掌握極佳,甚至自成一家。
- ざんぐり: 日本茶道與陶藝鑑賞用語,用來形容陶土顆粒質地自然、粗糙而質樸的肌理。
- 目跡(めあと): 疊燒或使用支釘燒製時留在器皿表面的痕跡。道八在此處以紅彩修飾點綴,化工藝痕跡為裝飾亮點。
仁阿弥道八(1783~1855)は、天明3年京都粟田口の陶工高橋道八の次男として生まれ、二代道八を継ぐが、仏門に帰依して仁阿弥を称した。陶技を奥田頴川に学び、仁清・乾山などに範を求めて琳派風の意匠に新境地を開いた幕末の名工として知られている。この鉢は道八が最も得意とした乾山写しの鉢で、桜と楓をあしらったこの意匠を雲錦手と称している。口造りを輪花風にして動きを出し、口縁をやや外反りぎみにした広い口の鉢で、素地はざんぐりとしていてわずかに鉄分を含んでいる。釉肌を鼠色に焼き上げた上に、桜と楓を内外に表したもので、樹幹や枝は鈞描風に描いて金彩を加え、桜花は点描風に、楓は平面的に、白・赤・緑青を用いて描いており、両者の対照の妙が発揮されている。楓の緑青は緑葉を表したものであろうが、この緑青の使い方がいかにも優れていて、名工二代道八の面目を見る思いがする。見込みや外側にも、ところどころほのかに赤い大小の窯変が出ており、総体に陶器独特の質感がある。見込みに七個の目跡があり、その上に赤絵具をさしているのも、道八の心遣いであろう。高台内左側に「道八」の印を捺している。
資料來源:日本靜岡 MOA 美術館
色絵花鳥文八角共蓋壺
柿右衛門
江戸時代 17世紀
総高 61.5cm

圖片與資料來源:出光美術館
這是一件造型雄偉端莊、被稱為「沉香壺」形制的大壺。原配的壺蓋至今完好無缺,堪稱極為珍罕的傳世實例,亦被譽為全球體量最大的柿右衛門瓷壺之一。柿右衛門瓷器多數專為外銷歐洲而精製,本作據傳也是自英國回流日本的珍品。壺蓋與肩部環繞著以青花及紅彩繪就的牡丹唐草紋;壺身經切削呈現八面造型,並以明朗澄澈的色調,細緻生動地描繪出梅花、牡丹、翠竹、菊花等花卉,以及嬉戲於花叢間的靈動小鳥。
此作淋漓盡致地展現了風靡歐洲王公貴族的柿右衛門巔峰風采,實屬登峰造極之巨作。
沈香壺(じんこうつぼ)形と呼ばれる堂々たる壺です。蓋が失われていない稀有な作例で、世界最大級の柿右衛門壺ともいわれています。その多くが欧州への輸出品として作られた柿右衛門ですが、本作も英国からの里帰り品と伝えられています。蓋と肩には藍と赤の牡丹唐草文がめぐり、胴は八面に面取りしたうえに、梅・牡丹・竹・菊の花と、花に戯れる小鳥を、明るく澄んだ色調で描きだしています。欧州の王侯貴族を虜にした柿右衛門の面目躍如たる大作といえます。