肥前赤繪 節錄自『肥前やきもの讀本』

本文探討日本肥前赤繪(釉上彩)陶瓷的發展與美學,作者藉由比較古伊萬里的異國情調、柿右衛門的細膩乳白胎,以及色鍋島的大名官窯氣度,強調陶瓷之美的最高境界在於釉彩、胎土與紋樣間的和諧共融。

(作者 永竹威)在異鄉遇見故鄉的陶瓷時,總會湧起難以言喻的鄉愁。那是昭和二十七年的夏天,為了研修博物館學,我在上野森林裡的東京藝大與東京國立博物館停留了約三個月。當時,洋溢中國風韻的高雅陶瓷、展現朝鮮王朝華麗文化的陶瓷,以及吸收大陸文化後日漸成熟的日本陶瓷,它們所展現的豐富之美深深打動了我的心。

不論國內外、時代新舊,也不論是陶還是磁,齊聚一堂展出的陶瓷之美特別耐人尋味。陶瓷展室的隔壁,聚集了日本佛像雕刻的精粹。雕刻世界創造出的造形美、將宗教意念在空間中具體呈現的佛像雕刻之美,都讓人深刻感受到日本民族無休止鑽研的足跡;與此同時,當開始探尋陶瓷之美時,一種超越所有繁雜理論、完全融入日常生活的工藝之美,便真切地來到身邊。

如果將陶瓷美學的世界比喻成故事,陶器時代可說是序幕,陶器時代是邁入新世界的階段,青花磁器(染付)時代迎來了飛躍與轉捩點,而赤繪(彩繪瓷器)的時代,則稱得上是波瀾壯闊的高潮。

翻開日本文化史便能明白,大部分的美術工藝文化都是由中國傳到朝鮮,再由朝鮮引進日本,並將日本人對手工藝的熱忱與當地的技藝巧妙融合。

這樣的交流在雕刻與陶瓷世界中,孕育並營造出日本獨特的形式之美。正如先前所提,青花的技法是沿著「中國>朝鮮>日本」傳播,但赤繪的技法卻是從中國直接傳到日本,並由柿右衛門在日本發揚光大。正因如此,赤繪的風格帶有更深厚的中國色彩與韻味。只要看過東京國立博物館展示的陶瓷,任何人都能明白這點。當時就如芭蕉俳句所寫的「良宵月色好,繞池步難移」那般心情,我在初秋的氣息中,在展示赤繪的玻璃櫃前來回徘徊、捨不得離開,這是一段久遠的回憶。

明代的「赤繪唐草紋碗」、「赤繪牡丹紋鉢」,以及帶有大明萬曆款識的「青花赤繪龍紋壺」,它們的造形之美將中國赤繪的韻味展現得淋漓盡致。此外,清代的「赤繪花鳥紋碗」也是吳須赤繪的代表作。

不可思議的是,接觸過柿右衛門的作品後,似乎能證明赤繪(更貼切的說法是「上繪」,即釉上彩)這項技術並未透過朝鮮,而是直接在日本融會貫通並成熟起來。

在肥前地區,南川原的窯場由柿右衛門一族完成深具日本風格的赤繪(上繪),同時有田皿山的赤繪也開花結果,京都赤繪與古九谷也隨之盛行;到了江戶末期,京都*仁阿彌道八的「色繪櫻楓圖鉢」廣受矚目,永樂的「色繪角皿」也吸引了京城文人雅士的興趣。

肥前南川原這個小工坊的耕耘,以有田皿山為中心,誕生了柿右衛門與古伊萬里的樣式美,也孕育了鍋島藩窯的「色鍋島」,進而在日本各地的窯場掀起了一陣彩繪瓷器的巨大浪潮。

欣賞肥前窯場的赤繪時會發現,它主要受中國萬曆至雍正年間瓷器的影響,同時又自成一格;古九谷的赤繪則深受京都畫家久隅守景的影響。要說最具純粹日本風貌的,莫過於色鍋島的赤繪,在恰到好處的雅緻觸感中,散發著大名貴族的沉穩氣度。

俗稱的「赤繪」,指的是相對於「下繪」(釉下彩)的「上繪」(釉上彩)。由於早期繪料主要使用引人注目的紅色,人們便將釉上彩通稱為赤繪。雖然這聽起來像是因柿右衛門的赤繪而誕生的詞,但其實早在中國明代就已有「萬曆赤繪」的說法。

不用說,釉上彩除了紅色之外,還有藍、黃、綠、黑、茶等各種顏色。

細看肥前、九谷與京都的赤繪,胎土的色調與質地(細緻度)各有千秋,釉面色調也各不相同,連繪料色彩與紋樣安排都生動表現出各自的地方特色。

除了地域特色,也有必要思考形塑各產地風格的時代背景,唯有如此,才能真正體會各種赤繪原本的美感。同樣是肥前的赤繪,古伊萬里與柿右衛門系、色鍋島之間就有很明確的區別。古伊萬里的時代背景承接了桃山末期至德川初期的工藝潮流,加上鄰近出貨港口伊萬里津與長崎出島這座洋人港口,在這樣的環境下巧妙孕育出古伊萬里的獨特美感。古伊萬里陶工的心中帶著異國的夢想,強烈或含蓄地交織著濃濃的異國情調。

看過極為知名的古伊萬里染錦「五艘船」大鉢,就能完全理解當時陶工對異國的憧憬與嚮往。

古伊萬里也有帶有庶民氣息的手作陶俑,這些作品同樣充分反映了當時的社會氛圍與生活環境。那是江戶時代的市井風俗在不知不覺間映入肥前陶工眼簾所創作出的成果,有些讓人聯想到四國阿波的土偶人形,有些則是以江戶下町的歌舞伎演員為原型製作。

從中能看出陶工們熟練運用釉上繪料後,隨興揮灑、運筆自如的自信與得意。

此外,古伊萬里的壺或花瓶上有時會畫上世俗風情畫,方盤上也能見到元祿美人的衣袖或衣褶紋樣。「染錦」這個名稱,大概就是源於對底層青花與上方華麗赤繪相互輝映的讚美,在不知不覺中流傳開來的稱呼。

古九谷流淌著加賀藩政統治下的社會背景,在純粹的日本原創性上顯得稍微薄弱一些。拿古伊萬里與柿右衛門相比,柿右衛門的筆觸帶著抒情的細膩,讓人感受到優雅高尚的氣息。至於藩窯製作的色鍋島,或許是受到「貴族背景」的影響,無論是胎土、描繪的紋樣還是挑選的顏料,都蘊含著貴族官窯獨有的精緻洗鍊之美。

釉上彩所使用的顏料,不論是紅還是黃,多多少少都帶有原色的鮮豔感。正因如此,若紋樣內容太過普通,整件作品就會顯得不夠和諧動人。然而,單純講究紋樣設計,也無法自然營造出整體美感。柿右衛門一族在初期嘗試釉上彩時,雖然取得了一定成果,但如何讓上層彩繪、胎土以及釉色三者完美調和,想必歷經了無數摸索與辛勞。

一般稱為「濁手」(乳白胎)的乳白色胎土,正是為了讓純粹的釉上彩(無底層青花)與胎土維持調和之美,在克服種種困難後留下的結晶。擺在我眼前玻璃櫃裡的柿右衛門「色繪散菊紋帶蓋盒」,就營造出極為和諧優美的美感世界。在乳白色的胎土上帶有波浪紋浮雕,並點綴著菊花彩繪與四處飛舞的千鳥。

在眾多赤繪器物中,能像這樣蘊含平淡雅緻造形美的作品可說少之又少。每當我注視著這件帶蓋盒時,總對柿右衛門窯能將平淡調和之美完美呈現在彩繪世界中的工藝精神,致上由衷的敬意。

把視線移到旁邊的展示櫃,那裡陳列著「色繪松竹梅瓶子」。做工精巧雅緻,飽滿的葫蘆形造型極為出色,是色鍋島的代表佳作。瓶身正面是「松竹梅」彩繪,背面則是由「柑橘、菊花、鶴、龜」等吉祥圖案組成的紋樣。這件作品的彩繪固然美麗,但更打動我的是釉色與赤繪之間渾然一體的完美調和。

「陶瓷之美,以調和為最高境界。」我認為這句話一點也不誇張,喜愛陶瓷之美的人,想必也都能心領神會。

(第138頁)

肥前の赤絵

異郷きょうの地にちあつて故郷ふるさとの陶磁とうじにめぐり会つた時あ、この上なくうえ郷愁きょうしゅうを覚えるおぼものであります。私はわたしさる昭和しょうわ二十七にじゅうなな年夏ねん、博物はくぶつ館学かんがく習のためしゅう、上野うえの森にもりある東京とうきょう芸大げいだいと東京とうきょう国立こくりつ博物はくぶつ館にかん三カ月さんほど滞在たいざいしました折りお、中国ちゅうごくの香りこうの高いたか陶磁とうじ、朝鮮ちょうせんの王朝おうちょう文化ぶんか華やかなはな折のお陶磁とうじ、大陸たいりく文化ぶんかの導入どうにゅうによつて成熟せいじゅくした日本にほんの陶磁とうじなどの豊かなゆた美にび心をこころ打たれうたものです。

国のくに内外ないがいを問わずと、時代じだいの新旧しんきゅうを問わずと、陶といわずとう、磁といわずじ、一堂いちどうに展示てんじされた陶芸とうげいの美はび格別かくべつに味わい深いあじふかものでありました。陶磁とうじ室のしつ隣のとな室はしつ日本にほんの仏像ぶつぞう彫刻ちょうこくの秀がしゅう集められてあつおりました。彫刻ちょうこくの世界せかいが産み出すう造形ぞうけいの美、び宗教しゅうきょうの観念かんねんを空間くうかんの世界せかいに表現ひょうげんした仏像ぶつぞう彫刻ちょうこくの美、びこれ等にはら日本にほん民族みんぞくの限りなきかぎ精進せいしんの足跡そくせきがうなづける、と同時どうじに、陶磁とうじの美をび探りはじめるさぐと一切いっさいの理をことわり超越ちょうえつし、一切いっさいの生活せいかつに融合ゆうごうした工芸こうげいの美がび身辺みへんに迫ってきますせま。 陶磁とうじの美のび世界かいを物語ものがた調にちょう構成こうせいしますと、土器どきの時代じだいはプロロぷろろーグろーぐともいえましょう。陶のとう時代じだいは新世界しんせかいへの段階だんかいであり、磁器じき染付そめつけの時代じだいは飛躍ひやくし、転機てんきを迎えむかえ、そして赤絵あかえの時代じだいはクライくらいマッまっクスくすの渦潮うずしおの流れながれともいえましょう。

日本にほんの文化ぶんか史をしひもときますと、誰にもだれ解るわかように、美術びじゅつ工芸こうげいの文化ぶんかは、その殆どほとが、中国ちゅうごくから朝鮮ちょうせんに渡りわたり、朝鮮ちょうせんから日本にほんへと導入どうにゅうされ、日本にほん人のじん手仕事てしごとへの気魂きこんが、彼のかれ地のち手仕事てしごととたくみに交流こうりゅうしたものであります。

(第139頁)

このこの交流こうりゅうが彫刻ちょうこくの世界せかいや陶磁とうじの世界せかいに独自どくじの日本にほん的てきな造形ぞうけいの美びを養やしない、醸かもし出だしているのであります。前にも触ふれましたように染付そめつけの技法ぎほうは中国ちゅうごく―朝鮮ちょうせん―日本にほんへと伝つたえられたのでありますが、赤絵あかえの技法ぎほうは中国ちゅうごくから直接ちょくせつ、日本にほんへと伝つたえられ、日本にほん的てきには野々村仁清ののむらにんせいが完成かんせいしたのであります。それだけに赤絵あかえの潮流ちょうりゅうには中国ちゅうごく的てきな感触かんしょくが一層いっそう深ふかいのであります。この事ことは、東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんの陶磁とうじのケースけーすを見みますと、誰だれにも納得なっとくすることでありましょう。芭蕉ばしょうの句くの「名月めいげつや池いけをめぐりて夜よるもすがら」の心境しんきょうをそのままに、私わたくしは初秋しょしゅうの気配けはいの中なかで、赤絵あかえの展示てんじしてあるケースけーすをゆきつもどりつ回まわりながら、立たち去さり難がたい思おもいがしました。遠とおく過すぎ去さった思おもい出でです。

明みん時代じだいの「赤絵あかえ唐草からくさ文もん碗わん」の美うつくしさ、「赤絵あかえ牡丹ぼたん文もん皿さら」の美うつくしさ、大明万暦だいみんばんれきの染文そめもん字じのある「青花赤絵せいかあかえの竜りゅう文もん壺つぼ」の造形ぞうけい美びは中国ちゅうごく赤絵あかえの感触かんしょくを心憎こころにくいまで漂ただよわせております。 さらに清時代しんじだい「赤絵あかえ花鳥かちょう文もん碗わん」は呉須ごす赤絵あかえの代表だいひょう的てきなものであります。

ここで不思議ふしぎなことは野々村仁清ののむらにんせいの作品さくひんに接せっすることにより、赤絵あかえ(正直しょうじきなところは上絵うわえという文字もんじが適切てきせつである)の技術ぎじゅつが、朝鮮ちょうせんを経由けいゆすることなく日本にほんでまとめ上あげられたという事ことが証明しょうめいされるようです。

肥前ひぜんでは、南川原みなみがわらの窯里かまざとで野々村仁清ののむらにんせい一族いちぞくが日本にほん的てきな赤絵あかえ(上絵うわえ)を完成かんせいしたのと歩調ほちょうを合あわせて有田皿山ありたさらやまの赤絵あかえが実みを結むすび、京赤絵きょうあかえや、古九谷こくたにが盛さかんになり、江戸えど末期まっきに京きょうの仁阿弥道八にんあみどうはちの「色絵いろえ桜楓さくらかえで図ずの皿さら」が注目ちゅうもくをあび、永楽えいらくの「色絵いろえ角かく皿ざら」が京洛きょうらくの人々ひとびとの興味きょうみをさそうのであります。

(第140頁)

肥前ひぜん南川原みながわらでの小ちいさな手仕事てしごとの営いとなみが有田皿山ありたさらやまを中心ちゅうしんに柿右衛門かきえもん・古伊万里こいまりの様式美ようしきびを産うみ、鍋島藩窯なべしまはんようの色鍋島いろなべしまを産うみ、引ひいては日本各地にほんかくちの窯場かまばに赤絵あかえの潮流ちょうりゅうが大おおきく渦うずを巻まいたのであります。

肥前ひぜんの窯場かまばの赤絵あかえを見みておりますと、やはり中国ちゅうごくの万暦ばんれきから、柿右衛門かきえもんの磁器じきを手頭しゅとうとした、肥前ひぜん独自どくじの世界せかいを持もつており、古九谷こくたにの赤絵あかえは多分たぶんに京絵師きょうえし久隅守景くすみもりかげの影響えいきょうをうけております。純日本的じゅんにほんてきなものといえば色鍋島いろなべしまの赤絵あかえがぴつたりとした感触かんしょくの中なかで大名芸だいみょうげいらしい美びをもつております。

俗ぞくに赤絵あかえという言葉ことばは下絵したえに対たいする上絵うわえのことであります。上絵うわえの絵具えのぐは主おもに赤あかが(初期しょきの頃ころ)用もちいられ、人目ひとめをひいた事ことなどから上絵うわえの俗称ぞくしょうを赤絵あかえと総そうじて呼よんだのでありましょう。柿右衛門かきえもんの赤絵あかえから産うれた言葉ことばのように考かんがえられそうですが、そうではなく古ふるく明時代みんじだいに万暦赤絵ばんれきあかえの言葉ことばがあります。

言いうまでもなく、上絵うわえの彩画さいがには赤色あかいろの他ほかに、青あおあり、黄きあり、緑みどりあり、黒くろあり、茶ちゃなども用もちいられております。

肥前ひぜんの赤絵あかえと九谷くたにの赤絵あかえと京きょうの赤絵あかえを見みておりますと、素地きじの色調しきちょうや土味つちあじ(きめの細こまかさ)はそれぞれ異ことなつた味あじをもつております。さらに、釉調ゆうちょう(うわぐすりの色調しきちょう)もそれぞれ異ことなり、上絵うわえの色調しきちょう、文様もんようの配はいり方かたにも各

(第141頁)

古こ伊い万ま里りには、俗ぞくな手て造づくり人にん形ぎょうがあります。これなども、当とう時じの世せ相そうと環かん境きょうをよく表あらわしております。江え戸ど時じ代だいの風ふう俗ぞくが何いず時れの間まにか肥ひ前ぜんの陶とう工こうの目めに留とどまつて出で来きたものであり、どこか四し国こくの阿あ波わの土つち偶ぐう人にん形ぎょうを思おもわせるものもあり、中なかには江え戸どの下した町まち役やく者しゃを型かたどつたと思おもわれるものもあります。

漸しだいく使つかいなれた上うわ絵えの顔がん料りょうを、自じ由ゆうな筆ふでにゆだねて気き軽がるに運はこんだでありましょう陶とう工こう達たちの得とく意いさが伺うかがわれるのであります。 なかには、この古こ伊い万ま里りの壺つぼや花はな瓶びんに風ふう俗ぞく絵え図ずをあしらつたり、元げん禄ろく美び人じんの袖そでや、笠かさ文もん様ようの部ぶ分ぶんを角かく皿ざらなどに描えがいた器うつわなども見み受うけられます。「染そめ錦にしき」というよび名なも、下した絵えの染そめ付つの呉ご須すの色いろと、多た彩さいな上うわ絵えの絢けん爛らん(けんらん)たる赤あか絵えの色いろへの饒にょう美びから、誰だれいうとなく産うれた言こと葉ばのようです。

(第142頁)

古九谷こくたにには、矢や張はり加賀かが藩はん政せい下かの社会しゃかい背景はいけいが流ながれ、日本にほん的てきなオリジナリティーにはやや乏とぼしいものが有あります。

古こ伊い万まん里りと、柿かき右う衛え門もんとを比較ひかくしますと、柿かき右う衛え門もんの筆法ひっぽうには、抒情じょじょう的てきな繊細せんさいさがあり、香かぐわり高たかいものを覚おぼえるのであります。

さらに藩はん窯ようの色いろ鍋なべ島しまになりますと、「大名だいみょう的てき背景はいけい」が影響えいきょうしてか、素地きじは勿論もちろんのこと、描えがかれた上絵うわえの文様もんようも、撰えらばれた顔料がんりょうも、鍋なべ島しまらしい洗練せんれんされた精巧せいこうな赤絵あかえの美びを含ふくんでおります。

上絵うわえに用もちいられる顔料がんりょうの色調しきちょうは、赤あかにしても、黄きにしても、原色げんしょくの持もつ派手はでさを多少たしょうとも持もっております。それだけに上絵うわえの絵え文様もんようも、あたりまえな内容ないようでは合ごう点てんがゆかぬことになります。

ただ絵え文様もんようだけを考かんがえたからといって、上絵うわえの調和ちょうわが産うれるものではありません。

柿かき右う衛え門もんの一族いちぞく(初期しょき)も上絵うわえ付つには、一応いちおうの成果せいかを収おさめはしたものの、上絵うわえと素地きじ、上絵うわえと釉調ゆうちょうをどのように調和ちょうわさせてゆくかの問題もんだいがあつて、さまざまな苦労くろうを重かさねたことでありましょう。

普通ふつう「にごし手で」とよんでいる乳白にゅうはく色しょくの素地きじも、結局けっきょくは純然じゅんぜんたる上絵うわえ(下した絵え染付そめつけのない)素地きじとの調和ちょうわ美びを保たもつ苦労くろうのあとを物語ものがたるものであります。私わたしの眼めの前まえのケースにある柿かき右う衛え門もんの「色絵いろえ、菊きく散ちし文もん蓋ふた物もの」は、実じつに美うつくしい調和ちょうわの世界せかいをこしらえております。乳白にゅうはく手での素地きじには、波なみ文もんの浮彫うきぼりが見みられ、上絵うわえ彩さい画がの菊きくのちらしがあり、千鳥ちどりがあちこちに飛とんでいるといったものであります。

これほど赤絵あかえの器物きぶつの中なかで、淡々たんたんとした造形ぞうけい美びを蓄たくわえているのは、数少かずすくないようです。私わたしはこの蓋ふた物ものに見惚みとれていますと、淡々たんたんたる調和ちょうわの美びを上絵うわえの世界せかいに見事みごとに造つくり出だした柿かき右う衛え門もん窯ようの工芸こうげい魂だましいに、心こころからなる畏敬いけいの念ねんを惜おしまないものであります。

(第143頁)

さらに隣りのケけーースすに眼めを移うつしますと、ここには「色いろ絵え松まつ竹たけ梅うめの瓶びん子す」がありました。細さい工くも上品じょうひんですし、形かたちもゆたかなひさご形がたで、素晴すばらしい色いろ鍋なべ島しまの瓶びん子すであります。

表おもては「松まつ竹たけ梅うめ」の上絵うわえ、裏うらは「たちばな、菊きく、鶴つる、亀かめ」といったおめでたづくしの絵え文もん様よう(彩さい画が)であります。この器物きぶつの上絵うわえも美うつくしいのですが、私わたしは釉調ゆうちょうと赤絵あかえの調和ちょうわに心こころをひかれたものであります。

「陶磁とうじの美びは調和ちょうわをもって極きょく致ちとする」この言葉ことばは、私わたしの過言かごんではないと思おもいます。陶磁とうじの美びを慕したう人ひとびとには納得なっとくのゆく言葉ことばだといえましょう。

節錄自『肥前やきもの讀本』第138~142頁 永竹威著 昭和35年 金華堂出版發行

另外,關於在研究本文內容時,所產生的疑問與深入探討,以及自身的想法見解都會附註在最後這裡。

讀完這一段文章,首先要了解到的是「赤繪」與「染付」這兩個技法的不同。最關鍵的差異,在於顏料繪製在釉藥的「上方」或「下方」以及燒成溫度與色彩的不同。

・赤繪則被稱為釉上彩或是上繪付,是在已經高溫本燒成型過的「光滑釉藥表面」上,以彩料描繪圖樣。繪製後放入專門的窯內,以約 700~800°C 的低溫二次燒烤使顏料固著,手摸表面會有微凸的立體感與華麗的光澤。。

・染付又稱為釉下彩或是下繪付,在尚未施釉的素坯上,直接以含鈷原料(吳須ごす)描摹圖樣,繪製後,再用一層透明釉包覆,以約 1,300°C 的高溫本燒一次完成,成品以不同濃淡深淺的青藍色為主,表面平滑且永不磨損褪色。

文章內提到的仁阿彌道八的「色繪櫻楓圖鉢」

一個裝飾精美的碗,內部繪有紅色花朵和樹枝的圖案,邊緣呈波浪形狀。

日本靜岡 MOA 美術館館藏

仁阿彌道八(1783~1855)於天明三年出生於京都粟田口,是陶工高橋道八的次子。他繼承了「二代道八」的名號,後因皈依佛門而自稱「仁阿弥」。他曾跟隨奧田穎川學習陶藝技法,並以野野村仁清、尾形乾山等人為典範,在琳派風格的設計中開拓出新境界,是江戶幕末時期著名的工藝大師。

這件鉢是他最擅長的「仿乾山(乾山寫し)」風格之作,這種融合櫻花與楓葉的設計被稱為「雲錦手(うんきんで)」。

器口做成輪花造型增添動態感,邊緣微向外翻,形成口徑寬廣的深鉢;胎土質地粗獷質樸(ざんぐり),略帶鐵質。

在燒製成鼠灰色的釉面上,器內外皆繪有櫻花與紅楓。樹幹與枝椏採用「銹繪(鐵繪)」風格描繪並施以金彩;櫻花以點描手法表現,楓葉則採平面構圖,運用白、紅、綠青(石綠)等色料描繪,展現出兩者對照的絕妙之處。楓葉的綠青色應是象徵初夏的綠葉,其綠青釉色的運用極為精湛,令人深切感受到名工二代道八的非凡造詣。

在鉢內底部(見込)與外側,各處隱約浮現出深淺不一的紅斑窯變,整體散發出陶器特有的溫潤質感。鉢內底留有七處支釘痕(目跡),而在釘痕上特別點綴赤繪顏料,亦可見道八體貼細膩的巧思。器底圈足(高台)內側左方則鈐印有「道八」之款識。

重點詞彙與鑑賞背景

  • 雲錦手(うんきんで): 將吉野山的「櫻花」(如白雲)與龍田川的「紅楓」(如彩錦)繪於同一器物上的經典傳統紋樣,象徵春秋交融之美。
  • 乾山寫し(けんざんうつし): 指仿效江戶前期琳派陶藝巨匠「尾形乾山」風格的作品。道八對乾山的筆觸與釉色掌握極佳,甚至自成一家。
  • ざんぐり: 日本茶道與陶藝鑑賞用語,用來形容陶土顆粒質地自然、粗糙而質樸的肌理。
  • 目跡(めあと): 疊燒或使用支釘燒製時留在器皿表面的痕跡。道八在此處以紅彩修飾點綴,化工藝痕跡為裝飾亮點。

仁阿弥道八じんあみどうはち(1783~1855)は、天明てんめい3年ねん京都きょうと粟田口あわたぐちの陶工とうこう高橋たかはし道八どうはちの次男じなんとして生うまれ、二代にだい道八どうはちを継つぐが、仏門ぶつもんに帰依きえして仁阿弥じんあみを称しょうした。陶技とうぎを奥田おくだ頴川えいせんに学まなび、仁清にんせい・乾山けんざんなどに範はんを求もとめて琳派風りんぱふうの意匠いしょうに新境地しんきょうちを開ひらいた幕末ばくまつの名工めいこうとして知しられている。この鉢はちは道八どうはちが最もっとも得意とくいとした乾山写けんざんうつしの鉢はちで、桜さくらと楓かえでをあしらったこの意匠いしょうを雲錦手うんきんでと称しょうしている。口造くちづくりを輪花風りんかふうにして動うごきを出だし、口縁こうえんをやや外反そとぞりぎみにした広ひろい口くちの鉢はちで、素地きじはざんぐりとしていてわずかに鉄分てつぶんを含ふくんでいる。釉肌ゆうはだを鼠色ねずみいろに焼やき上あげた上うえに、桜さくらと楓かえでを内外ないがいに表あらわしたもので、樹幹じゅかんや枝えだは鈞描くんびょう風に描えがいて金彩きんさいを加くわえ、桜花おうかは点描風てんびょうふうに、楓かえでは平面的へいめんてきに、白しろ・赤あか・緑青ろくしょうを用もちいて描えがいており、両者りょうしゃの対照たいしょうの妙みょうが発揮はっきされている。楓かえでの緑青ろくしょうは緑葉りょくようを表あらわしたものであろうが、この緑青ろくしょうの使つかい方かたがいかにも優すぐれていて、名工めいこう二代にだい道八どうはちの面目めんもくを見みる思おもいがする。見込みこみや外側そとがわにも、ところどころほのかに赤あかい大小だいしょうの窯変ようへんが出でており、総体そうたいに陶器とうき独特どくとくの質感しつかんがある。見込みこみに七なな個この目跡めあとがあり、その上うえに赤あか絵具えのぐをさしているのも、道八どうはちの心遣こころづかいであろう。高台こうだい内うち左側ひだりがわに「道八どうはち」の印いんを捺おしている。


資料來源:日本靜岡 MOA 美術館

色絵花鳥文八角共蓋壺

柿右衛門
江戸時代 17世紀
総高 61.5cm

一件有蓋的古董瓷瓶,上面裝飾著紅色和藍色的花卉圖案,背景為白色。

圖片與資料來源:出光美術館

這是一件造型雄偉端莊、被稱為「沉香壺」形制的大壺。原配的壺蓋至今完好無缺,堪稱極為珍罕的傳世實例,亦被譽為全球體量最大的柿右衛門瓷壺之一。柿右衛門瓷器多數專為外銷歐洲而精製,本作據傳也是自英國回流日本的珍品。壺蓋與肩部環繞著以青花及紅彩繪就的牡丹唐草紋;壺身經切削呈現八面造型,並以明朗澄澈的色調,細緻生動地描繪出梅花、牡丹、翠竹、菊花等花卉,以及嬉戲於花叢間的靈動小鳥。

此作淋漓盡致地展現了風靡歐洲王公貴族的柿右衛門巔峰風采,實屬登峰造極之巨作。

沈じん香こう壺つぼ(じんこうつぼ)形がたと呼よばれる堂々どうどうたる壺つぼです。蓋ふたが失うしなわれていない稀有けうな作例さくれいで、世界せかい最大級さいだいきゅうの柿かき右え衛え門もん壺つぼともいわれています。その多おおくが欧州おうしゅうへの輸出品ゆしゅつひんとして作つくられた柿かき右え衛え門もんですが、本作ほんさくも英国えいこくからの里さと帰がえり品ひんと伝つたえられています。蓋ふたと肩かたには藍あいと赤あかの牡丹ぼたん唐草文からくさもんがめぐり、胴どうは八面はちめんに面取めんとりしたうえに、梅うめ・牡丹ぼたん・竹たけ・菊きくの花はなと、花はなに戯たわむれる小鳥ことりを、明あかるく澄すんだ色調しきちょうで描えがきだしています。欧州おうしゅうの王侯おうこう貴族きぞくを虜とりこにした柿かき右え衛え門もんの面目めんもく躍如やくじょたる大作たいさくといえます。

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